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死と向き合う。河原町を染める夕焼け。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

数日前の事である。
阪急河原町駅を降りると、そこは真紅の世界だった。
真っすぐ西へと延びる四条通りの空が、今まで見たことも無いような真っ赤な夕焼けに染まっていたのだ。
「なんて美しいんだろう」
本当に紅かった。
河原町中の建物が紅く染められていた。
こう書いてしまうと夢もへったくれも無くなるのだが、まるで一昔前のコタツの中に頭を突っ込んでいるような感じだった。

あまりの神々しさに、私はその場から暫く動けなかった。
辺りを見渡すと、多くの外国人観光客がその光景をカメラに収めるために四条通りにはみ出していた。
ふと我に返った私は、それまで美しかったはずのこの紅い世界に急に不安を覚えた。
「もしかしてここ、地獄じゃないだろうな?」
なんだか灼熱地獄の中に突き落とされたような気がしたのだ。

「ヤバい、なんか魅入られそうだ」
私は紅い街を背中に、目的の店へと歩を進めた。
この日は以前も本ブログに登場したC先輩(前の部署で一緒だった)との会食の約束があって、私は河原町のとある定食屋に向かっていた。
目的は主に母の脳梗塞について、何かと博識なCさんに相談することだった。

定食屋で無事Cさんと落ち合い、晩御飯を食べた。
でも結局その店では話を切り出せなかった。
他の客との距離が余りにも近いため、このような相談をするのには適していなかったからだ。

早々に店を出て歩くことになった。
辺りは既に宵闇の中だった。

私は一通りこれまでの経緯(母の脳梗塞)をCさんに話し、その後Cさんのご両親について聞いてみた。
確かCさんは既にご両親を亡くされていたはずだ。
一人っ子で独身、さらに親戚づきあいもほぼ途絶えているCさんならば、当然その最期を看取るまでの間にひとかたならぬ不安や葛藤を経験しているであろう。
もしかすると介護などの経験もあるのかもしれない。
有益なアドバイスが貰えるのではないだろうか?
この時の私は漠然とそんな風にCさんの事を考えていた。

しかしCさんの答えは意外なものだった。
「う〜ん、僕あんましその辺のこと気にしたことないねん」

Cさんは彼が20歳の頃、癌で母親を亡くしている。
そして今から約10年ほど前、同じく癌で父親を亡くしたそうだ。

母親の面倒を看たのは父親だった。
そして今度は父親が癌にかかった時、その面倒を看たのはCさんの従妹だった。
たまたま10代で暇だったらしく、住み込みで看病してもらったらしい。
母親の時も父親の時もほとんど主体的に動いたことの無いCさんなのだが、どうやら父親の葬儀の喪主だけは引き受けざるを得なかった。
一人っ子なのでこればかりは仕方がない、という感じでCさんは当時の事を私に語って聞かせてくれた。
まるで他人事のように親の死を語るCさんが私にはとても理解できなかった。
Cさんは時を経て苦しみや悲しみを乗り越えたのではなく、当時から自分でも驚くくらいに親の病や死に対して冷めていたのだという。

その後、Cさんは突然こんな死生観を話し始めた。
Cさん曰く、
「癌はいいよぉ。
 とりあえず外科手術したら後は頭も体も元気やしね。
 余命も大体分かるし、痛いのだけモルヒネかなんかで抑えてもらったら自力で生活できるしね。
 僕は両親が癌やから多分自分も癌で死ぬんやと思うんよね。
 それが理想の死に方やね。
 癌以外では死にたくないよね」
との事だった。

私は今までこんな考え方を聞いたことも無かったし、もちろん考えたことも無かった。
癌、最高。
もともと変わっている人だとは思っていたが、まさかここまでとは。
しかしよくよく考えてみると一理あるな、とも思った。

「Cさん、もし癌以外の病気で死ぬことになったらどうします?」
私がそう訊ねると、Cさんは少し頭をひねってこう答えた。
「その時はお金の力で何とかするしかないね。
 出来たら交通事故とかで一気に逝ってしまいたいけど、こればっかりはどうすることも出来んよね」

Cさんは達観していた。
この境地にまで達することが出来ればもう怖いものなど無いのではないか。

Cさんはそれからおもむろに私の現況の悩みへと話頭を転じた。
「オペラ君の場合、僕の経験では何とも役にはたたへんけど、でも選択肢としては多くて2つじゃないの?
 そんなに悩む必要無いような気がするけど。
 そもそも脳梗塞って死に直結するような病気なん?」

この言葉を聞いてハッとした。
確かにその通りだった。
私は現実を見ているようで実はまだ正しく見れていなかったのだ。

でも例えば今日ジョギングしようか?どうしようか?と迷っている時の選択肢が2つだったとしよう。
”する”か”しない”かのどちらかだ。
そして正解は決まっている。
”する”の方だ。
そしてここで葛藤するのが人間なのだ。
面倒くさい、
今日は休息日にするか、
明日多めに走る、
あと30分したら走る、
とまあ実に様々な言い訳を思いつく。
人間はたとえ選択の余地が無いと頭の中では理解していても、迷妄する生き物なのだ。



言い訳はこれくらいにして、
私はふと思った。
私もCさんまでとはいかなくとも、少しは物事を達観して観られるようになりたい。

「Cさん、最近どんな本読んでいるんですか?
 何かお奨めの本とかあります?」
こんな私の問いにCさんは再び頭を少しだけひねってこう答えた。
「あるよ。
 『町田君の世界』
 僕最近人の為に何かやりたくて、ああいう世界観が良いなって思う」

その後私たちは様々な事について語り合った。
気が付くと終電の時間が近づいていた。
私はCさんと別れ、急いで阪急河原町駅まで戻った。
そこにはもうあの真紅の世界は無かった。
ただ漆黒の闇。
私は見事に終電を逃した。

自宅に徒歩で帰宅し、私はさっそく『町田君の世界』をググってみた。
マーガレットコミックス。
漫画、それも少女漫画だった。
「マジかよッ!!」

Cさんはただ漆黒の闇だけを抱えて生きているのだと思っていたが、意外と紅く燃えていたのだ。
まるで河原町の夕焼けのように。

私は夕方のあの神々しくも地獄のような真紅の世界を頭に思い浮かべた。

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母、脳梗塞。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

母が脳梗塞で入院しました。
今ようやく少し落ち着いてきたので、この件を記録ついでに記事にしておこうと思い筆を、いやキーボードをとりました。

ここ京都から実家(四国)への道中、何度も涙が頬を伝って流れているのに気が付きました。
「なんでだ!? なんでなんだ!?」
私の頭の中に常にその言葉が飛び交っていました。
あんなに子供思いの良い人が。
あんなに真面目に一生懸命生きてきたのに。
あんなに元気だったのに。

私は母が可哀想で可哀想でたまらなかったのです。

親戚や弟と一緒に病院に着き、ベッドに寝ている、いや寝かされている母と対面しました。
ちょうど看護師さんに血圧を測られている所でした。
その時、母が発する力の無い声を聞いて、私は少なくない戦慄を覚えました。
それでもその後私たちと対応する時には多少無理をしていたのでしょうか?、声にはいつもの張りと強さが戻っていました。
少しだけ安心しました。

左脳の梗塞らしく、母の右手と右足は麻痺の症状が現れていました。
でもスプーンで食事を採れていましたし、自力で右手を上下に振ることも出来ましたし、リハビリ次第ではかなり元の生活に近い状態に戻れる可能性もあるとの事です。
でもまだ今は急性期、これからどっちに症状が進展するかは分からないとのこと、募るのは不安ばかりです。
「全然大丈夫やから。心配したらあかんよ」
努めて明るくふるまうそんな母の姿に、私は危うく母の前で落涙するところでした。
この時の私の頭の中には、やっぱりこの言葉が飛び交っていました。
「なんでだ!? なんでなんだ!?」

古代ローマ五賢帝の一人、マルクス・アウレリウスがこんな言葉を『自省録』の中に残しています。

「最初の知覚が報告するもの以上のことは一切自分に言って聞かすな。
 私は自分の子供が病んでいるのを見る。
 それは見る。
 しかし彼が危険に陥っているとは見ない」

「君は多くの無用な悩みの種を切り捨てる事が出来る。
 なぜならばこれは全く君の主観にのみ存在するからである」

「君が何か外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはその事自体では無くて、それに関する君の判断なのだ。
 それは君の考え次第でたちまち抹殺してしまう事が出来る」

「全ては主観であること」

ここで出てくる”君”とはもちろんマルクス自身の事です。
彼は出版目的などではなく、この著書をただ自分自身に向かって書き続けました。
私はこの本を読みながら
「どれだけ辛い人生を歩んだらこんな事が書けるのだろうか?」
と、何度も胸にこみ上げるものを感じました。

彼は10人近く子供を授かりましたが、そのほとんどが病で夭折してしまいました。
最初の文は、また一人、我が子が死の淵に立っているのを見た時のものです。
現実を正しく認識し、それに余計な感情を加えず、ただ理性に拠って生きようとする彼の生き様です。
恐らく、いや間違いなく苦しかったでしょうし、辛かったのでしょう。
何しろ彼の治世は、常に戦争と共にありました。
ストア派の哲人として学問を愛した彼は、本来皇帝などではなく学者になりたかったようです。
それでもひたすらストイック(ストア哲学が語源)に自分の職責を全うすることに努めたのです。

私はマルクスの事を思い浮かべながら、何とか自分を抑制しようと試みましたが、やっぱり辛いことに変わりはありませんでした。
でも当時のローマ皇帝の苦しみに比べれば、という気持ちも同時に浮かんできました。
決して自分だけではない、という事が分かれば少しは苦しみも軽減されるものです。
そもそも一番苦しいのは母なのですから。

”自分だけではない”という話で、お釈迦さまの逸話を一つ思い出しました。
歳をとってようやく授かった赤ちゃんが死んでしまい、その遺体を抱いて泣き叫びながら村を彷徨っている女がいました。
女はお釈迦さまに我が子を救ってくださいと懇願します。
お釈迦さまは答えました。
「分かりました。生き返らせてあげよう。
 そのかわり、ケシの種を集めておいで。
 ただし一度も死人を出したことの無い家から貰ったものでなければダメだよ」
女は喜びました。
その後女は村中を探し回りましたが、結局一度も死人を出したことの無い家は見つかりませんでした。
女は悟り、お釈迦さまに帰依しました。

この話で私が「さすがお釈迦さま」と感心したところが2つあります。
1.上から目線の説教などを全く用いていない。
2.女が自ずから現実を正しく受け入れられるよう誘っている。

彼女の苦しみが消えることはないでしょうが、少なくともかなり和らいだはずです。

そのとき、私は母と同じ病室の、恐らく同じような症状で入院している患者さんとそのお見舞客のことを思い浮かべました。
「現実……」

『現実を正しく観ること』
『余計な感情や推測の奴隷にならないこと』

私はつくづく思いました。
母のこの一件の前に、マルクスや釈迦の話を読んでいて良かったと。

それでもやっぱり一人でじっと考え込んでいると、涙が溢れてくることがあります。
不安が心に影を差します。
食欲が湧いてきません。
相変わらず眠れません。
天の無情を感じます。

論語に「五十にして天命を知る」とありますが、
それは孔子が”天が如何に無情であるか”を五十で知ったという意味ではないか?とも思います。
そして六十でその命に従順となり、七十で孔子はようやく自分の器を知ったのです。
(知るの遅いな……)

ちょっと脱線しましたが、
そういう訳で私の心は今大きく揺れています。
マルクスでも釈迦でも孔子でもない私は、いとも簡単に揺さぶられてしまいます。

実家の母の寝室で南面している神棚を拝んできました。
その周囲に何故か天皇皇后両陛下はじめ、皇族のスナップ写真が何枚か飾られていたのでそれらも拝んでおきました。
ついでに居間に大量に飾られている母の写真も拝もうかと思いましたが、それではまるで故人みたいなので止めました。

とりあえずこれで神様と皇室にも責任の一端を担わせたことになります。
あとは何とか取り計らってくれることでしょう。
今私に出来るのはそんな事くらいです。

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暴走おじいさん――再び。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

それは週一の定期診療に出かけようと自宅前の駐車場に向かって歩いている時だった。
「あのぅ、すいません」
突然背後から私を呼び止める声がした。
振り向くと、そこには一人の老人が申し訳なさそうな微笑を湛えて立っていた。
(どっかで見たような気が……)
老人は続けて言った。
「いやぁ、あの時はすいませんでした」
「あっ!」
私はここでようやく気が付いた。
そこに立っていたのは忘れもしない今年の一月、ほぼ自殺テロに近いと言っても良いような攻撃をこの駐車場で私の車に対して実行したあのおじいさんではないか!

*その時の記事ー暴走おじいさん――前編。

私が一目見て分からなかったのは無理もなかった。
おじいさんはまるで某ライザップのCMのように見事にシェイプアップされ、死んだ魚の様だった目には輝きが戻り、何しろ自力で二足歩行をしていたのだから。
車の修理代云々で色々あったあの時以降、私はそれとなくおじいさんの事が気になって何度か彼の部屋まで足を運んだことがあった。
しかし事故当時ほぼフリーアクセスだった玄関の扉は固く閉ざされ、深夜の窓からも光は一切洩れてこず、電力使用を示す金属の円盤はほぼ回転を止めていた。
どうやら部屋にいない事は間違いないなさそうだ。
多分入院したのだろう。
それから約5か月が過ぎようとしていた。
廃車寸前のおじいさんの車はそのまま放置されていたので、その車を目にするたびに私は彼の事を何となく思い出してはいたものの、やがてそれらは日常における当たり前の風景の一つとなっていた。
そんな状態での今回の邂逅である。

「つい最近退院しましてん」
「大丈夫だったんですか?」
それから老人は入院の経緯について話し始めた。
要約すると、両眼を手術し、ついでに心筋梗塞の兆候も見られたのでその治療も行ったとのことだ。
もっと要約すると、当時はほぼ目が見えておらず、おまけに心臓が止まりそうな状態で車を乗り回していたという事だ。
改めて思った。やっぱりテロだ。
おじいさんの声には力があり、表情には余裕がうかがえた。
小粋なジャージに身を包み、タバコ片手に実に堂々と振る舞っていた。
当時の姿からはとても想像できないまっとうな社会人ぶりである。
しかし何はともあれ無事で良かった。
「元気になられて何よりです」私は誠意を込めてそう言った。
「有難うございます。私お宅にお伺いしてちゃんと謝ろうと思ってたんですが、何しろ部屋番号を知らなくて」
私は彼に部屋番号を告げ、それから一つ気になっている事をそれとなく、あくまでごく自然に訊ねてみた。
「そういえば車どうするんですか?」
「あぁこれ!?もう廃車しますわ」
良かった。
病気が治ったんで車も直してこれからガンガン乗り回しますよ、なんて言われたらどうしようかと思った。
私は安堵のあまり多少大げさに彼の考えに賛同した。
「うんうん、それが良いと思いますよ。お金もかかりますしね。私もそうすべきだと思います」
それからホッとしたついでにこんな事も訊いてみた。
「ところでここで何をなさっているのですか?」
おじいさんは威風堂々と答えた。
「散歩ですわ」
(何故この狭い駐車場でタバコ片手に散歩を?
 私以外の人が見たら間違いなく車上荒らしの不審者にしか見えないだろう。
 おじいさん、元気になったのはいいがくれぐれも通報されないように気を付けてください)
私は心の中で彼にそう語りかけた。

おじいさんと挨拶を交わして別れた。
車に乗って再びおじいさんの方に目をやると、一心不乱に駐車場の中をぐるぐる歩き回っている彼の姿が見えた。
駐車場の中とはいえ、歩くことで生の喜びを感じているのだろうか?
どうやら暴走おじいさんは徘徊おじいさんへと変化したようだ。

病院に向けて車を走らせる道中、いつもなら暗く沈むはずの私の心は不思議と暖かかった。
たとえ赤の他人とはいえ、たとえ出会いは不幸だったとはいえ、これもきっと何かの縁。
そんな縁を共有する人が今度は幸せそうな顔で私の前に現れた。
おじいさんは孤独である。
おじいさんは病気を患っている。
おじいさんは経済的に余裕が無い。
ついでにおじいさんは私の車の修理代のローンを背負っている。
でもおじいさんは明るくて幸せそうだった。

ちなみに私はこの日の診療で薬が一つ減った。
もしかして、おじいさんの福にあやかった御利益なのだろうか?
その時思い浮かべたおじいさんの背中に天使の羽が見えたような気がした。
……いやいや、さすがにそれは言い過ぎか。

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