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579:大変ですね by ひろ on 2017/08/30 at 08:04:35

オペラさん 私も昨年の夏に母親が脳出血で倒れ、同じような思いをしました。現実を受け止めるまでは時間がかかると思います。気をしっかり持ってください。福島県から応援しています。

580:Re: 大変ですね by オペラ on 2017/08/30 at 19:18:48

> ひろさん。
コメント有難うございます。
脳出血ですか!命にかかわるような症状ですね。大丈夫なのですか?
母は幸い出血までには至っておらず梗塞ですが、麻痺の具合が気になります。
遠く福島から応援ありがとうございます。
心が少し楽になりました。

▼このエントリーにコメントを残す

   

母、脳梗塞。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

母が脳梗塞で入院しました。
今ようやく少し落ち着いてきたので、この件を記録ついでに記事にしておこうと思い筆を、いやキーボードをとりました。

ここ京都から実家(四国)への道中、何度も涙が頬を伝って流れているのに気が付きました。
「なんでだ!? なんでなんだ!?」
私の頭の中に常にその言葉が飛び交っていました。
あんなに子供思いの良い人が。
あんなに真面目に一生懸命生きてきたのに。
あんなに元気だったのに。

私は母が可哀想で可哀想でたまらなかったのです。

親戚や弟と一緒に病院に着き、ベッドに寝ている、いや寝かされている母と対面しました。
ちょうど看護師さんに血圧を測られている所でした。
その時、母が発する力の無い声を聞いて、私は少なくない戦慄を覚えました。
それでもその後私たちと対応する時には多少無理をしていたのでしょうか?、声にはいつもの張りと強さが戻っていました。
少しだけ安心しました。

左脳の梗塞らしく、母の右手と右足は麻痺の症状が現れていました。
でもスプーンで食事を採れていましたし、自力で右手を上下に振ることも出来ましたし、リハビリ次第ではかなり元の生活に近い状態に戻れる可能性もあるとの事です。
でもまだ今は急性期、これからどっちに症状が進展するかは分からないとのこと、募るのは不安ばかりです。
「全然大丈夫やから。心配したらあかんよ」
努めて明るくふるまうそんな母の姿に、私は危うく母の前で落涙するところでした。
この時の私の頭の中には、やっぱりこの言葉が飛び交っていました。
「なんでだ!? なんでなんだ!?」

古代ローマ五賢帝の一人、マルクス・アウレリウスがこんな言葉を『自省録』の中に残しています。

「最初の知覚が報告するもの以上のことは一切自分に言って聞かすな。
 私は自分の子供が病んでいるのを見る。
 それは見る。
 しかし彼が危険に陥っているとは見ない」

「君は多くの無用な悩みの種を切り捨てる事が出来る。
 なぜならばこれは全く君の主観にのみ存在するからである」

「君が何か外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはその事自体では無くて、それに関する君の判断なのだ。
 それは君の考え次第でたちまち抹殺してしまう事が出来る」

「全ては主観であること」

ここで出てくる”君”とはもちろんマルクス自身の事です。
彼は出版目的などではなく、この著書をただ自分自身に向かって書き続けました。
私はこの本を読みながら
「どれだけ辛い人生を歩んだらこんな事が書けるのだろうか?」
と、何度も胸にこみ上げるものを感じました。

彼は10人近く子供を授かりましたが、そのほとんどが病で夭折してしまいました。
最初の文は、また一人、我が子が死の淵に立っているのを見た時のものです。
現実を正しく認識し、それに余計な感情を加えず、ただ理性に拠って生きようとする彼の生き様です。
恐らく、いや間違いなく苦しかったでしょうし、辛かったのでしょう。
何しろ彼の治世は、常に戦争と共にありました。
ストア派の哲人として学問を愛した彼は、本来皇帝などではなく学者になりたかったようです。
それでもひたすらストイック(ストア哲学が語源)に自分の職責を全うすることに努めたのです。

私はマルクスの事を思い浮かべながら、何とか自分を抑制しようと試みましたが、やっぱり辛いことに変わりはありませんでした。
でも当時のローマ皇帝の苦しみに比べれば、という気持ちも同時に浮かんできました。
決して自分だけではない、という事が分かれば少しは苦しみも軽減されるものです。
そもそも一番苦しいのは母なのですから。

”自分だけではない”という話で、お釈迦さまの逸話を一つ思い出しました。
歳をとってようやく授かった赤ちゃんが死んでしまい、その遺体を抱いて泣き叫びながら村を彷徨っている女がいました。
女はお釈迦さまに我が子を救ってくださいと懇願します。
お釈迦さまは答えました。
「分かりました。生き返らせてあげよう。
 そのかわり、ケシの種を集めておいで。
 ただし一度も死人を出したことの無い家から貰ったものでなければダメだよ」
女は喜びました。
その後女は村中を探し回りましたが、結局一度も死人を出したことの無い家は見つかりませんでした。
女は悟り、お釈迦さまに帰依しました。

この話で私が「さすがお釈迦さま」と感心したところが2つあります。
1.上から目線の説教などを全く用いていない。
2.女が自ずから現実を正しく受け入れられるよう誘っている。

彼女の苦しみが消えることはないでしょうが、少なくともかなり和らいだはずです。

そのとき、私は母と同じ病室の、恐らく同じような症状で入院している患者さんとそのお見舞客のことを思い浮かべました。
「現実……」

『現実を正しく観ること』
『余計な感情や推測の奴隷にならないこと』

私はつくづく思いました。
母のこの一件の前に、マルクスや釈迦の話を読んでいて良かったと。

それでもやっぱり一人でじっと考え込んでいると、涙が溢れてくることがあります。
不安が心に影を差します。
食欲が湧いてきません。
相変わらず眠れません。
天の無情を感じます。

論語に「五十にして天命を知る」とありますが、
それは孔子が”天が如何に無情であるか”を五十で知ったという意味ではないか?とも思います。
そして六十でその命に従順となり、七十で孔子はようやく自分の器を知ったのです。
(知るの遅いな……)

ちょっと脱線しましたが、
そういう訳で私の心は今大きく揺れています。
マルクスでも釈迦でも孔子でもない私は、いとも簡単に揺さぶられてしまいます。

実家の母の寝室で南面している神棚を拝んできました。
その周囲に何故か天皇皇后両陛下はじめ、皇族のスナップ写真が何枚か飾られていたのでそれらも拝んでおきました。
ついでに居間に大量に飾られている母の写真も拝もうかと思いましたが、それではまるで故人みたいなので止めました。

とりあえずこれで神様と皇室にも責任の一端を担わせたことになります。
あとは何とか取り計らってくれることでしょう。
今私に出来るのはそんな事くらいです。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
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579:大変ですね by ひろ on 2017/08/30 at 08:04:35

オペラさん 私も昨年の夏に母親が脳出血で倒れ、同じような思いをしました。現実を受け止めるまでは時間がかかると思います。気をしっかり持ってください。福島県から応援しています。

580:Re: 大変ですね by オペラ on 2017/08/30 at 19:18:48

> ひろさん。
コメント有難うございます。
脳出血ですか!命にかかわるような症状ですね。大丈夫なのですか?
母は幸い出血までには至っておらず梗塞ですが、麻痺の具合が気になります。
遠く福島から応援ありがとうございます。
心が少し楽になりました。

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