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563:管理人のみ閲覧できます by on 2017/04/18 at 17:51:58

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564:Re: タイトルなし by オペラ on 2017/04/18 at 20:50:20

> コメント有難うございます。
桜が散る生物的なメカニズムは知りませんでした。
教えてくれて有難うございます。
勉強になりました。
だから受粉できる確率を上げるためにあんな大量の花を咲かせるのですね。
その確率が何%かは知りませんが、魚の卵の理屈から言えばその中から成木になれるのは本当にごく少数のようですね。

ブログは確かに疲れます。
でもこれがあるから外に出ようという気が起こることも事実なので、実際問題として自分の為にはなっていると思います。
ご配慮有難うございます。

567:管理人のみ閲覧できます by on 2017/04/18 at 21:15:10

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568:Re: タイトルなし by オペラ on 2017/04/18 at 21:32:10

> いえ、私は何も気分を害していませんし、むしろ知らない事を教えて頂けたことに感謝しています。
もし私の返信に何かそのような意図が垣間見えたのならそれは本意ではありませんのでどうかお気になさらないでください。

▼このエントリーにコメントを残す

   

Operaベルニーニ、桜を求めて嵐山渡月橋、大沢の池、広沢の池へ。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

ブログの為に写真を整理していると、それらの光景に何だか懐かしさと愛おしさを抱いた。
その感覚をよく分析してみると、どうやら懐かしさはその風景に、そして愛おしさはその風景を切り取っている自分の姿に重ねているように思えた。
それらの風景は明らかに自分の体験なのだが、何となく自分ではない別の誰かの記憶を覗いているような気分になってくるのだ。
今の自分は明らかに当時の自分を知っているのに、当時の自分は今の自分のことを全く知らない。
同じ自分なのに別の自分。
何だか不思議な気持ちになってきた。
少なくとも写真なりブログなりを通して見る自分は、今の自分に直接向き合うよりもより客観的に捉えられ、そして多少なりとも愛を持って認識できるような気がする。

近い将来にそんな気がすることを微塵も思っていない当時の私は、この日もベルニーニを駆って嵐山に向かっていた。
もう出発即全力疾走などというおろかな行為はしない。
サイクリングとは、周りの風景を楽しみ、自分が今どの筋肉を使ってペダルを回しているのか確認しつつ、心に常に余裕を持って走ることである。
そんなサイクリング道のようなものがあるのかどうかは知らないが、とにかくこの時の私はそんな感じだった。

そんなオペラ流のサイクリング道に思いを馳せながら桂川の自転車道を走っていると、やがて嵐山”終点”に到着した。
ただしサイクリング道に終わりが無いように自転車道にも終わりはない。
自転車道の終点は始点でもあるのだ。
……何の話をしているのだろう?そんなことはどうでもいい。
とにかく桜と桜に浮かれた人々を観察しよう。

IMG_3211.jpg

IMG_3212.jpg

桜のあるところ人あり。
嵐山は今まさに花盛りであり人盛りだった。

IMG_3213.jpg

枝垂桜の下でベルニーニを撮った。
桜の向こうに屋台がいくつか軒を並べていた。
まさに桜のあるところ人あり、そして人あるところ商売ありである。

IMG_3216.jpg

IMG_3217.jpg

そう言えばここも砂利が敷き詰められている。
歩きにくいことこの上ないが、前回の御所ツアーで得た知識によると砂利の利点は主に三つあって、
1.全体が平坦に見える。
2.雨でも汚くならない。
3.音で不審者の侵入を察知する。
という事らしい。
平安時代、嵯峨野は貴族の独占地帯、一般人立ち入り禁止の禁野だった。
つまりここもその昔は雅な場所だったのであり、砂利もその面影の一つなのである。

IMG_3218.jpg

一休みしていると突然強い東風が吹いた。
目の前に桜吹雪が舞った。

IMG_3220.jpg

東風(こち)は春の季語である。
そして東風は雨を伴う春の風である。
東風に呼ばれて花を咲かせた桜は、同じ東風に促されてその花を散らす。
人の生活からますます季節感が遠ざかりつつある現代。
社会における桜の存在感は、これから更に増していくように思える。

そんな事に思いを馳せながら私は嵐山の散策を続けた。

IMG_3225.jpg

IMG_3228.jpg

IMG_3232.jpg

一通り嵐山を堪能した後、私は嵯峨野の北端を目指してベルニーニで大沢の池へと向かった。
メインストリートを抜けると一気に人気が無くなっていく。
やがて坂に差し掛かった。
おかしい、何故坂が? そもそもこんなに遠かったっけ?
まだ体力に余裕のあった私は、久しぶりの坂道に少し興奮気味だった。
なのでそのまま自分の進む道を信じてペダルを回し続けた。
やがて眼下にこんな光景が広がった。
遠くに京都タワーが見える。
間近には無秩序に乱立する瓦屋根の集落が。
同じ方向を向いている屋根が一つもない。
どうすればこれほど調和を無視して家を建てられるのだろう?
私はこの時、秩序を保つ嵯峨野の裏を見た気がした。

IMG_3234.jpg

それはそれでいいとして、そもそも私はどこに居るのだろうか?
そう思って少し進むとその先に嵐山・高雄パークウェイの入り口が見えてきた。
ここでようやく私は自分が大沢の池とは全く違う方向に進んでいたことを知った。

IMG_3235.jpg

その代わりに久しぶりの爽快な下り坂を経験することが出来た。
たまには間違う事もあって良い。ただし体力のあるうちに限る。

今度こそ目的地のはずだ。
明確に大覚寺と書いてあった。
正面に山門、そして右には大沢の池が見える。
どうやら桜は見頃を迎えているようだ。

IMG_3236.jpg

大沢の池。
池にしておくのはもったいないくらいの光景だった。

IMG_3238.jpg

嵯峨野を開いたのは嵯峨天皇である。
その嵯峨天皇を開祖とする寺がこの大覚寺だ。
流石にもともと天皇の離宮だっただけあって実に立派な庭園である。

IMG_3240.jpg

ここも建物の東側に池を配している。
御所ツアーで知った理由がここでも適用されているのだろうか?
これだけ池が大きいと夏でもさぞ涼しかろう。

IMG_3241.jpg

池のほとりに佇んでいると、鯉の群れが集まってきた。
中には錦鯉的な奴もいる。
こいつら、見てないようで確実に池の外を見ている。
暫くの間、私は鯉が私を見ているという前提で鯉たちと見つめ合っていた。

IMG_3243.jpg

鯉の相手に疲れた頃、庭に強い東風が吹いた。
ここでも桜吹雪が舞っているようだ。

IMG_3245.jpg

大沢の池を後にして、私はその先にある広沢の池に向かった。
水面にはたくさんの桜の花びらがたゆたっていた。

IMG_3246.jpg

広沢の池は昔から灌漑用だったので、たまに通りがかると水が完全に抜けていることがある。
この日がそうでは無くて良かった。

IMG_3247.jpg

広沢の池を堪能した後、私は再び喧騒の嵐山を通って帰路に着いた。
帰路において私はこんな事をふと考えた。
自宅の隣に咲く桜にも多少の感銘は受けるものの、何故か人の集まるところに咲く桜の方がより深い感銘を受けるのは何故だろう?
それは私が桜に浮かれる人々と共に観ることによる相乗効果、いわゆる錯覚なのだろうか?
しかし錯覚とはいえ、純粋に桜を楽しんでいる人の姿はこちらも幸福な気分にさせることは間違いない。
それがまさしく共感というものだろう。
共感は心に安心感を呼び、明るくしてくれる。
特に文化の異なる外国人が感嘆の声を上げていたりすると、何だかそこに文化の違いを乗り越えた価値観を共有しているような気がして(自分の功績でも何でもないのに)嬉しくなるものだ。
そういう意味において、人は物事を自分の目だけではなく他人の目を通しても見ているのかもしれない。
池の鯉との決定的な差異がそこにはあるのだ。
(少なくとも私は暫く見つめ合っていた大沢の池の鯉に共感の念は抱かなかった)
鯉と人間との違いに気付いたこの日のサイクリングである。
……続く。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
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563:管理人のみ閲覧できます by on 2017/04/18 at 17:51:58

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564:Re: タイトルなし by オペラ on 2017/04/18 at 20:50:20

> コメント有難うございます。
桜が散る生物的なメカニズムは知りませんでした。
教えてくれて有難うございます。
勉強になりました。
だから受粉できる確率を上げるためにあんな大量の花を咲かせるのですね。
その確率が何%かは知りませんが、魚の卵の理屈から言えばその中から成木になれるのは本当にごく少数のようですね。

ブログは確かに疲れます。
でもこれがあるから外に出ようという気が起こることも事実なので、実際問題として自分の為にはなっていると思います。
ご配慮有難うございます。

567:管理人のみ閲覧できます by on 2017/04/18 at 21:15:10

このコメントは管理人のみ閲覧できます

568:Re: タイトルなし by オペラ on 2017/04/18 at 21:32:10

> いえ、私は何も気分を害していませんし、むしろ知らない事を教えて頂けたことに感謝しています。
もし私の返信に何かそのような意図が垣間見えたのならそれは本意ではありませんのでどうかお気になさらないでください。

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