プロフィール

オペラ

Author:オペラ

※所有バイク
Look595
Operaベルニーニ
ルイガノXC-Race

愛車Look595

最新記事

最新コメント

カテゴリ

おすすめ(ロードバイク)











おすすめ(本)













ブログ村このブログの記事

RSS

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す

   

京都、東寺の夜桜ライトアップ。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

小雨が降ったり止んだりの嫌な天気だ。
どうやら京都は週末から来週の前半にかけてずっとこんな調子で行くらしい。
折角自分の気持ちが外向きになっているのに、これではまた以前に逆戻りしそうで怖い。
京都が太陽を取り戻す頃には桜前線はもう京都を去った後なのではないだろうか?
その時の私のモチベーションは一体どうなっているのだろうか?
何だか上に昇っている最中に梯子を外された様な感じがして憂鬱になる。
まあ自分の思うようにいかないのがむしろ人生なのだろうけど。

という訳で少しもがくことにした。受けいれるのはその後でもいいだろう。
昼間がダメなら夜があるじゃないか。
晴れていようが曇っていようが夜ならあまり関係がない。

震える手で500円を係りのオジサンに支払い、私は東寺の東門を通った。
ハッと息をのむような色の配置に心が震えた。

IMG_2950.jpg

そして国宝の五重塔に全く引けを取らない枝垂桜の存在感。

IMG_2952.jpg

暫く庭園内を歩いているうちに雨脚が強くなってきた。
一応折り畳み傘は持っていたが傘で少しでも自分の視界が遮られるのが嫌でそのまま濡れてこの景観に見惚れていた。

IMG_2955.jpg

しょぼいカメラもびしょ濡れになったが、なぜかあまり気にならなかった。

IMG_2958.jpg

多分ライトの配置も桜や古い建築物の陰影を可能な限り引き立たせるように熟考されているのだろう。
日本古来の建築物は特に陰影によってその深み、いわゆる詫び錆びが見事に浮き立ってくる。
壮麗さでは西洋のものには敵わないが、繊細な陰影の演出にかけては日本建築に軍配が上がる。

IMG_2961.jpg

輝くような白がやがて背景の漆黒に吸い込まれるように溶け込んでいく様には何か文学的な奥行きを感じる。

IMG_2963.jpg

カメラがショボいのと雨で水面が揺れていたのと、そして何より私の腕が悪いせいでこの鏡写しの美しさが全く伝わっていない。
残念だがこれが限界なので後は想像力で補完してほしい。

IMG_2968.jpg

その後も雨に濡れたまま、たまにカメラレンズを服で拭いつつ庭内を彷徨い歩いた。

IMG_2969.jpg

IMG_2974.jpg

IMG_2986.jpg

IMG_2987.jpg

IMG_2991.jpg

IMG_2992.jpg

そして再び最初の枝垂桜の元に帰ってきた。
実はこの桜、割と最近ここに移植されてきたらしいのだが、その佇まいには昔からずっとここに居るような威厳を感じる。
そして、何本ものつっかえ棒に支えられてほとんど介護状態の姿にも関わらず、何故か凛とした気品と誇りを漂わせている。

IMG_2994.jpg

「よし満足した」
私はその時初めて、いつの間にか自分だけの世界にどっぷりと浸かっていた自分を認識した。
ふと外部に意識を向けると、いつの間にか私は中国人団体客に取り囲まれていた。
その中国人団体客はこの景観に感嘆の声を上げていた。
何か微笑ましく思えた。

昔は京都に行く事を「上洛する」と言った。
ちなみに東京に行く事は「上京する」と言う。
上京はむしろ京都の方が語感的にはしっくりくると思うのだが、何故『洛』なのか。
京都は古代中国王朝で何度も首都になった「洛陽」をモデルに造られた都市である。
なので京の都の内は洛中と呼ばれるし、外は洛外である。
東西南北はその先頭に洛をつけて今でも洛西、洛北などと呼ばれている。
つまり上洛は洛陽に上がることなのである。
現在本家本元の中国洛陽は既に古の姿を完全に失っているという。
中国人にとって古の都「洛陽」の姿は、もう頭の中で想像するしか無くなっているのだ。
しかし京都には古の洛陽の姿が今でも残っているらしい。
もしかすると、中国人にとって日本の京都を訪れることは古の洛陽に上がる事、すなわち上洛することなのかもしれない。

考えてみると中国人は幸せである。
日本がきちんんとその文化を継承し発展させ、現在にもきちんと残しているのだから。
それに比べると日本はどうだろう。
その文化を継承し残してくれるような国はどこにもないのだ。
大切にしなければならない。

現在、京の町屋は年々その数を減らし、着物を着る日本人も少なくなった。
文化は人の関心を失えば途端に廃れていく。
神社仏閣は荒廃し、古い町並みは姿を消し、やがて伝統はそっと息を引き取る。
しかし私はその町屋を購入し護っている外国人が少なからず存在し、着物を着て観光地を楽し気に闊歩している外国人観光客に多少の違和感を覚えつつも、この夜桜見物でその功罪の功としての意義にも着目する必要があることを感じた。
彼らは間違いなく日本文化の継承発展に寄与しているのだ。
「物事には必ず良い面と悪い面があり、決してそのどちらかだけということはありえないのだ」と誰かが言っていた。
例えば陰影が、光と影その両方で構成されているように。
つまり文化を継承し発展させていく功のためには、それによって被る多少の罪も引き受ける覚悟がいるのだろう。
そんな風に考えると、外国人観光客(特に中国人)に対して、私の心の中にこれまで感じたことの無い何か不思議な感覚が芽生えた。
自分でもうまく表現できないが敢えて言葉にするならば、それは多分「感謝」に近い感情なのかもしれない。

「これからはもう少し優しい目線で見守ってやろう」
帰路においてふとそんな事を考えた夜桜見物だった。
……続く。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
よろしければポチッとお願いします。 



ブログランキング・にほんブログ村へ



拍手、コメント、それだけが励みです。
   ↓↓
関連記事
スポンサーサイト
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す

   
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。