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545:管理人のみ閲覧できます by on 2017/02/13 at 15:27:23

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546:Re: 大変でしたね by オペラ on 2017/02/14 at 00:15:24

励ましのお言葉を頂き、大変有り難く思っています。
仰られている事はよく理解できます。
社会とは自分が自分である事を知るただ一つの鏡だと何かの本で読んだことがあります。
とすれば、人はその鏡に映る自分で美化した自分の姿に幸福を感じているのでしょうか?
鬱を患って以来、私はどうも自分に向けられた鏡が澄み過ぎているように感じることがあります。
そこに映っているのは狭量で傲慢で偽善的な非常に醜い自分の姿です。
見るのがとても怖いです。
この件があってますます夜眠れなくなりました。
果たして私は自尊心を損なってしまったのか、それとも逆に強すぎるのか?
以前『この世界の片隅に』を観て”居場所”についての記事を挙げたことがあります。
せっかく澄んで穏やかに凪いでいる湖面に、自分の居場所を求めて汚れた小石を投げ入れる資格が私にあるのでしょうか?
すいません、とても分かりにくい返答になりました。
最近漠然とそんな事を考えています。

547:管理人のみ閲覧できます by on 2017/02/14 at 12:16:37

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548:Re: お気持ちはよくわかります by オペラ on 2017/02/14 at 22:43:26

> 貴重な助言を頂き有り難く思います。
確かに自分を取り巻く環境をそのように受け入れる事が出来れば、人は幸福感を得られるのかもしれませんね。
貴兄のように迷いながらもそれらを心掛け、実践されている先人の存在は私にとっても大きな心の支えになり得ると思います。
ただ心の許容量の小さい今の私には難しい問題のようにも思えます。
かと言って昔の自分は器が大きかったかといえば決してそうでは無かったというのも不思議な話です。
人間はとても複雑に出来ているようです。
いわんやその集合体である社会においてはなおさら。
まだまだ熟考すべき事が多いように思う今日この頃です。

549:ゆっくりと by ひろ on 2017/02/15 at 15:59:30

自分の思いを勝手に述べていましたが、オペラさんの体調は本人しかわからないことなので、あせらずにゆっくりと取り組まれてください。私も毎日自問自答をしながら会社に行っています。「食えるもんなら食ってみろ」と。世の中の大多数の方はオペラさんの味方ですよ。自分を容認して、やれることから徐々に。

550:Re: ゆっくりと by オペラ on 2017/02/15 at 21:24:48

> ひろさん。
温かいお言葉を拝受しました。有難うございます。
心休まると同時に勇気づけられます。
私はこのところ現代うつ心理学関連の論文なんかをネットで拾って読んだりしています。
自動思考やら認知心理学やらこの分野も近年随分と進んでいるようです。
色々な知見や経験を無駄にしないように、そして今のこの状況が将来の糧となるように願っています。

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暴走おじいさん――後編。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

「そんな金あらへん」
老人はうつ伏せで顔を背けたままそう言った。
修理見積書にも目を通さずに。
「今二万なら払える。とりあえずそれでええか?」
急にしゃべり方もぞんざいになった。
(おいおい、ごね始めたぞ。うつ伏せで)
私の嫌な予感は確信に変わりつつあった。
しばし沈黙がその場を支配した。

私は意を決し再び彼に向き合った。(かれはうつ伏せでそっぽを向いたままだが)
彼とのやり取りがしばらくの間続いた。
彼の言い分を要約すると、どうやら”ある時払い”の分割でお願いしたいという事らしい。
”ある時払い”
その”ある時”とは本当にあるのか?と思わず私は訊ねそうになった。
一旦心を落ち着けディーラーに相談してみると、あくまで修理費用の請求は私に対するものであり、分割はカード以外受けられない(それ以外のローンは事前審査とか色々あって時間がかかるらしい)、更に支払いの目途が立つまでは修理にも取り掛かれないという事だった。
困った、嫌な予感はまた的中したのだ。

「○○さんカードもってはりますか?」
「カード?あ、うん、多分もってるわ。
 カードやと分割できんの?
 じゃあそのほうがええわ」
良かった。これで何とかなりそうだ。私はその場ですぐディーラーに電話した。
しかし事はそう簡単に運ばなかった。
分割払いということならばそのカードで許容された分割回数を提示しなければならない、らしい。
希望は限りなくゼロだが私はとりあえず彼に訊ねてみた。
「○○さん、このカード何回までいけるかご存知ですか?」
「え、あ?何が?知らん」
という訳でカード会社に連絡をとるしかなくなった。
「○○さん、……という訳でなので問い合わせてみてほしいんですけど」
「おう、分かった。聞いとくしとりあえず一旦帰ってくれへんか?分かったら連絡するし」
無理に他人の部屋に居座り続けるわけにもいかず、私は限りない不安と疑念を抱きつつ老人宅を後にした。

自分の部屋に帰って一旦ソファに腰を下ろしてみたものの、どうにも落ち着かない。
色々な可能性(もちろん悪い方)が頭をよぎる。
一応ネットでこのようなケースについての対処なども調べてみた。
ついでに弁護士への無料相談メールなども活用してみた。
「……という感じで相手が修理費用を払えない場合どうすればいいでしょうか?」
何回かのメールのやり取りで得られた結論はおおむね以下のようなものだった。
まず私がディーラーに費用を全額支払い、加害者とは別途借金の契約書を作成しローンで返済してもらう。
その際重要なのは担保をとること、そして弁護士によって契約書を作成してもらう事。
それでもしらばっくれる場合、最終的には裁判に持ち込む。
さ、裁判……か。
参考に契約書の作成費用を訊いてみた。
「大体5万ですね。ぜひ私共にお任せください」
相談のメールはこの時既に営業メールへと変容していた。
ついでにこんな事も訊いてみた。
「その費用も相手に請求できたりしますか?」
「いえ出来ません」
何てこった!
考えてみるとこっちが被害者のはずなのに何故か加害者よりも追い詰められているような気がする。
社会はごねたもん勝ち、善良な被害者は常に損をする、日本の良心は今どこに居るのか?
気が付くと帰宅して三時間が経過していた。

おじいさんからは予想通り何の連絡も入ってこなかった。
なので私の方から連絡をとってみた。
彼は電話に出なかった。
仕方がないので私は再び彼の部屋へと赴くことになった。
コンコン、ガチャ、○○さん入りますよー。
相変わらずアクセスのいい部屋だ。
おじいさんは三時間前と寸分たがわぬ格好でうつ伏せになっていた。
嘘だろ!
流石になんか怪しい。
トイレとかどうしてんだ。
いつの間にかTVもついてるしエアコンもガンガンに効いている。
読みかけの週刊少年何とかもテーブルの上に散乱している。
一体どんなカラクリがあるんだ……彼と彼のこの部屋には。
「○○さん、カード会社に連絡取れました?」
「あ?連絡?電話番号知らんねん、自分知ってる?」
知ってる訳ないだろう!?
心の中でそう呟きながら、私はおじいさんが一応持っていると自己主張するカードを見せてもらった。
幸運な事にカードは本物らしかった。
上の方には問い合わせ先が書いてある。
「○○さん、これですよ。私が連絡しましょうか?」
「おう、もうどっちでもええよ」
おいふざけんな!
なんか立場が逆転しているような気がするのは俺の気のせいか?
私はその番号に自分の携帯で連絡をとり、長い長い待ち時間と番号入力を促す自動応答システムをクリアし、ようやくオペレーターへと辿りついた。
ご本人様ですか?との問いに流石にこれ以上は犯罪の匂いを感じ、私は自分の携帯をおじいさんに手渡した。
おじいさんは相変わらずうつ伏せで顔を向こうにそむけている。
その状態で首だけを上げて通話しているのだ。
「ちょっとカード番号見えへんし読み上げてくれへん?」
「なあ、何回払いがベストなん?」
「これってショッピングなん?」
オペレーターと話しながら次々に発せられるおじいさんの指示或いは問いに私は親切丁寧に対応していった。
これではまるで親の介護をしている子供、悪く言うと不正ローンを組まそうとしている詐欺師ではないか?
私は最早自分の行動が善なのか悪なのか、そもそもこの状態は人道的見地に立った場合どうなのか、自分でも訳が分からなくなっていた。
おじいさんはそれから約10分、他人の携帯を使って存分にオペレーターと話し込んだ。

私はディーラーの担当営業さんに頼み込み、ここまで契約に必要な用紙と機器を持ってきてもらった。
なにしろおじいさんは動けないし、私が他人のカードを持って行くわけにもいかない。
契約用紙のサイン以外の記入欄は私が全て代筆することになった。
最後、分割回数の入力項目である。
「○○さん、何回払いにしますか?」
「え?えーと、じゃあ2回」
え、2回!?
私は困惑した。
おい、ちょっと待て。冗談は顔だけにしてくれ。
あんた金が無いから分割にしたんじゃないのか?
確か最初”ある時払い”とか何とか意味不明なこと言っていたよな。
まあこっちの預かり知るところでは無いが本当に2回でいいのか?
そもそも2回でいいならなぜ最大分割回数などをカード会社に問い合わせるはめになった?
その場にいたディーラーの営業さんも困惑の色を隠せなかった。
結局契約は2回払いのカードローンとなり、営業さんはそれをもってカードの有効性のチェックのために帰社した。

(まあ、何はともあれ一段落ついたようだ。はあ、マジで疲れた)
私はこのときようやく心に多少の余裕が生まれたことを感じた。
おじいさんの部屋を後にする前にもう一度病院の必要性を訊ねてみたが、彼はもうすぐ知り合いが来るのでその時一緒に行くという本当なのかどうかあやしさを拭いきれないストーリーを語った。
本当に大丈夫なのか?
「もし何かあれば私の携帯に電話して下さい。救急車なりタクシーなり呼びますから」
帰宅して一息ついた後、私はどうもおじいさんの事が気がかりで仕方がなくなり、念のためにマンションの管理会社に一報を入れた。
「……という訳なんで、一度様子を見てあげてください」
「分かりました、連絡ありがとうございます」

それから一時間ほど経った頃だろうか?おじいさんから着信があった。
(やっぱ何かあったか!?)
「はい、オペラです。どうしましたか?」
「あー○○ですけど、あのねぇ、悪いんやけど分割回数変更してくれる。20回にしたいんや」
「え?さっきあれほど確認したのに2回って断言したのは一体何だったんですか?」
「あ、あれなぁ、回数少ない方が車の修理も早よ終わるおもたんや。テンパっててんやな儂、その時」
(おいおいおいおい!!
 じゃあその理屈で行くと2年のローンだったら修理に2年かかるってことかよ)
「あの、ディーラーさんにさっきわざわざ無理を言って来てもらったばかりなんですけど」
「じゃあカード預けるし自由に持ってってくれてええよ」
(そんなことできる訳ないだろうがよぉ、おい!)
……
私は再び営業さんに連絡し、丁寧に理由を説明したうえで再度ここまで御足労頂いた。
コンコン、ガチャ、○○さん入りますよー。
何度目の自宅訪問だろうか?
もうほとんどフリーアクセスである。(しかし相変わらずこの臭いには慣れない)
おじいさんはやっぱり以前と寸分たがわぬ格好でうつ伏せになっていた。
(いつテンパってていつテンパってないのか外見からは判断できない)
再び契約用紙のサイン以外の記入欄を私が全て代筆し、分割回数を20と指定した。
カードを専用の機器で読み込み、今度こそ全てが完了した。
営業さんが一応笑って対応してくれたのがせめてもの救いだった。

帰宅して一息つき、ジョギングに出かけた。
頭の中をすっきりさせたかったのだ。
その後シャワーを浴びてソファーでボーッとしているとマンションの管理会社から連絡があった。
「オペラさんですか。今○○さんのところに行ってきたところです。
 部屋の中にも入らせてもらいました。
 ○○さん、ちゃんとテーブルについてて、とりあえず元気そうに見えましたよ。
 明日知り合いが来るので一緒に病院に行くとの事です」

……うーん、謎だ。
彼のあの不可解な状態はもしかすると彼の長い人生経験から紡がれた同情を誘うための演技もあったのかもしれない。
でも今となってはもうどうでもいい。
とりあえず早く忘れたい。
そしてちゃんと眠りたい。

この件の間、明らかに私の胸に去来したある思いがある。
室内ホームレス状態の身寄りのない独居老人。
もしかすると彼は私の未来像ではないのだろうか?
私の人生においてこの件に意味を持たせるとするならば、それは自分が自分に突きつけたある決意或いは覚悟なのではないだろうか?
別の意味においてその日も眠れなかったことは言うまでも無い。
……続く。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
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545:管理人のみ閲覧できます by on 2017/02/13 at 15:27:23

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546:Re: 大変でしたね by オペラ on 2017/02/14 at 00:15:24

励ましのお言葉を頂き、大変有り難く思っています。
仰られている事はよく理解できます。
社会とは自分が自分である事を知るただ一つの鏡だと何かの本で読んだことがあります。
とすれば、人はその鏡に映る自分で美化した自分の姿に幸福を感じているのでしょうか?
鬱を患って以来、私はどうも自分に向けられた鏡が澄み過ぎているように感じることがあります。
そこに映っているのは狭量で傲慢で偽善的な非常に醜い自分の姿です。
見るのがとても怖いです。
この件があってますます夜眠れなくなりました。
果たして私は自尊心を損なってしまったのか、それとも逆に強すぎるのか?
以前『この世界の片隅に』を観て”居場所”についての記事を挙げたことがあります。
せっかく澄んで穏やかに凪いでいる湖面に、自分の居場所を求めて汚れた小石を投げ入れる資格が私にあるのでしょうか?
すいません、とても分かりにくい返答になりました。
最近漠然とそんな事を考えています。

547:管理人のみ閲覧できます by on 2017/02/14 at 12:16:37

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548:Re: お気持ちはよくわかります by オペラ on 2017/02/14 at 22:43:26

> 貴重な助言を頂き有り難く思います。
確かに自分を取り巻く環境をそのように受け入れる事が出来れば、人は幸福感を得られるのかもしれませんね。
貴兄のように迷いながらもそれらを心掛け、実践されている先人の存在は私にとっても大きな心の支えになり得ると思います。
ただ心の許容量の小さい今の私には難しい問題のようにも思えます。
かと言って昔の自分は器が大きかったかといえば決してそうでは無かったというのも不思議な話です。
人間はとても複雑に出来ているようです。
いわんやその集合体である社会においてはなおさら。
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549:ゆっくりと by ひろ on 2017/02/15 at 15:59:30

自分の思いを勝手に述べていましたが、オペラさんの体調は本人しかわからないことなので、あせらずにゆっくりと取り組まれてください。私も毎日自問自答をしながら会社に行っています。「食えるもんなら食ってみろ」と。世の中の大多数の方はオペラさんの味方ですよ。自分を容認して、やれることから徐々に。

550:Re: ゆっくりと by オペラ on 2017/02/15 at 21:24:48

> ひろさん。
温かいお言葉を拝受しました。有難うございます。
心休まると同時に勇気づけられます。
私はこのところ現代うつ心理学関連の論文なんかをネットで拾って読んだりしています。
自動思考やら認知心理学やらこの分野も近年随分と進んでいるようです。
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