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『この世界の片隅に』を観て。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

差支えの無い程度にネタバレあります。
ありますが、この作品においてそれは大した問題にはならないでしょう。
むしろ原作の漫画を読んでから観に行ってほしいくらいです。

という訳で、まず感想ですが、

アメージング!
アンビリーバボー!
感動した!
すごい!

あらゆる賛辞が陳腐に思えるほど、この映画は素晴らしかったです。
いきなり冒頭から心を鷲掴みにされ、それから二時間以上に渡って前後左右上下に揺さぶられ続け、
愛しさと切なさと心強さ(昔誰かが歌っていたような)の本当の意味を叩き込まれました。

結局最後まで(いやもっと正確に言うとこの記事を書いている今現在に至るまで)私の頬は涙で乾くことがありませんでした。
しかしこの映画の本当に素晴らしいところは泣ける映画にもかかわらず、基本的に日常系コメディ作品であるということです。
哀しさや切なさは(特に前半)常に笑いの裏に隠れているのです。
総括すると、これは喜怒哀楽全ての要素がぎっしり詰まった感動密度の濃い映画です。

上映後、観客からは割れんばかりの拍手と喝さいが飛びました。
このような現象を私は初めて体験しました。
私は暫く立ち上がれませんでした。
これは、『シンゴジラ』でも『君の名は』でも経験できなかった現象です。

私は思いました。
「ここ数年で最高の映画なのではないだろうか?
 もっとみんなに観てほしい。
 というか文科省推薦にして全国の学校で強制観劇させるべきだ」

そういえば私が小学生の頃、文部省推薦の映画として南極物語が体育館で上映されたのを覚えています。
とりあえず犬好きになりました。
何となく高倉健は良い人という印象を持ちました。




話を戻すとこの映画、
ストーリー、演出、構成、音楽、音響、そして声優、
全てがこれまでのアニメ映画とはどこか違う、いうなれば日本のアニメ映画の新たな方向性のようなものを垣間見た気がしました。

――声優はみな素晴らしい演技をされていました。

特に主人公のすずさんを演じた”のん”(能年玲奈)の演技は特筆ものです。
彼女の演技を観るためだけにでも映画館に行く価値があります。
私には最早すずさん自身が声を発しているとしか思えなかったのです。
つまり、それほどにのんさんはすずさんだったのです。
声優がこれだけ映画の価値に貢献した事例が過去にあったでしょうか?

――演出や構成も実に斬新でした。

すずさんの性格や作品全体の雰囲気もあって、ストーリーは一見ゆったりと流れていくように見えますが、実はテンポ自体恐ろしく速い物語です。
まるで四コマ漫画を連続で繋げているような、それでいて俯瞰すると全体の大きな波のうねりがはっきりと実感できるような、
とにかく二時間超という上演時間にもかかわらず、一切観客を(特に私を)飽きさせることがありませんでした。

――主人公すずさんに上映開始直後から感情移入させられました。

例えば冒頭のシーン。
お使いに出された八歳のすずさん。
広島の三角州を移動するために小さな渡船にのります。

「乗せて頂いて有難うございます。本来は兄が……(この間なぜ自分がお使いに出されているのかを丁寧に説明する)……
 という訳ですので、よろしくお願いいたします」
そう言って、船頭に対し砂利の散らばる渡船の床板で、正座”三つ指”で挨拶する若干八歳のすずさん。
ゆったりと、まるでおばあさんが昔話を語るように。

もうこれだけで涙腺が崩壊しました。
健気だ。
なんてできた子なんだ。
でもこの先色々あるんだろうなあ?
もう不憫に思えて仕方がありませんでした。

――音響の効果は侮れません。

銃弾の飛び交う音、爆弾の炸裂音、高射砲の鉄片が飛び散って瓦屋根を貫通する音。
背中に冷たいものを感じました。
とにかく自分が今映画館に居て安全であるという事を再確認したくなったくらいの恐怖でした。
後、すずさんの言葉の響きは某Youtubeなどで聴くのとは次元が違います。
これらは映画館でしか味わう事が出来ません。

――安易な泣きは誘いません。

私がもう二度と観ることは無いと決めている映画があります。
『ホタルの墓』
確かに名作ですが、とにかく可哀想で可哀想で仕方がない。
泣けるだろ、なっ、ほら泣け、これでどうだ、もっと泣けるだろ。
でも結局それ以外何もないという何とも後味の悪い映画なんです。

でも『この世界の片隅に』にはそのような要素はありません。
むしろあえて悲劇を喜劇に変えようとしているようなふしも散見されます。

「墨貸して。すずちゃんの頭に塗ってあげるの」
可愛い義姉の娘が家族にねだっているのを所在なげに聞いているすずさん。
「気にしてたらもっと禿げるぞ」
夫にはばれてないと思ってたのにバレてる!
嫁いだ先でストレス性の円形脱毛症を患っているのですが、この作品においてはその不安や葛藤を積極的に描こうとはしません。
むしろほのぼのとした笑いとして演出されています。

失敗しても怒られても、常に小首をかしげてはにかんでいるすずさんは、あっという間に観客を味方につける魅力に溢れています。

――戦争映画ではありません。

確かに舞台は戦時中の広島そして呉ですが、中心となる物語はすずさんの生活です。
つまり、戦争はすずさん達当時の人々にとって日常の一つとして扱われているのです。
それは、台風や地震などの自然災害と同じで善悪の葛藤などありません。
時に怖れ、やがて慣れ、たまに憤りますが、結局は受け入れざるを得ないのです。

――すずさん初めての叫び。

それは敗戦の玉音放送直後でした。
「勝手に負けるな。まだ私たち五人ものこってるんだぞ」
すずさんは泣きながらそう叫びました。

「工夫(して生活)することが私たちの闘いですから」戦時中そう語っていたすずさん。
そして、丘の上から呉湾に遊弋する艦隊を一生懸命に写生していたすずさん。

すずさんも戦艦の乗組員同様に闘っていたのです。
必死に生活し、勝つことを信じて皆が帰ってこれる場所を守っていたのです。

やがて進駐軍が町を占領し、アメリカ軍からの配給が始まりました。
初めての洋食です。
旧敵国からの食事を恐る恐る口にするすずさん一家。
「おいしいねぇー」
高い適応力、というよりも生活がまず第一なのです。

――リアリティの追及。

この映画の監督はこの作品を作るにあたってそれを第一義として考えていたようです。
じゃあ実写でいいじゃん。
実はこの映画を観るまで私はこんな風に思っていました。
でも考えが変わりました。

この作品において重要なのは、すずさんという架空の(すなわち脚色)の人物をどこまで実存した人物のように描けるか、
そして観る人に感情移入してもらえるかという点だと思います。
そうすることで、彼女に降りかかる災厄がより強い悲劇として観客には訴えられるのです。

その為にすずさんは徹底的に愛されキャラです。
どうしても先入観が入る実写映画の俳優では観客に白紙の状態からすずさんを再構築させることはかなり難しい、というか不可能でしょう。
そういう意味においてアニメのキャラクターは有利です。

そして彼女の生活していた場所は徹底的にリアルです。
これもすずさんの存在のリアリティに貢献しています。
架空の存在であるすずさん以外は徹底的に当時の現実を再現し、そこにすずさんをうまく溶け込ませることですずさん自身もその現実の一部分として見せることに成功しています。

これらの効果と随所に散りばめられたユーモアによって、その対極(悲劇)がより色濃く映るのです。


最後に、
「ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて」
これは物語の終焉において、すずさんが夫の周作に対して発した感謝の言葉です。

このとき私は、この言葉がまるでこの映画の監督に、原作者に、ファンドの支援者に、そして今まさに目の前にいる我々観客にも向けられているように感じました。

すずさんが生きていれば今年91歳。
もしかしたら彼女は今、呉の映画館の一番後ろの席でうつむき加減に小首を傾げて「ありゃぁ」とはにかんでいるのかもしれません。
私はそんな変わらないすずさんの姿を思わずにはいられませんでした。

あぁ、なんかまた泣けてきた。


PS.
 この映画の感想を書くにあたり、私の文章力と表現力では限界があります。
 無理です。
 という訳で、まだ観ていない人は何も考えずに取りあえず観てみてください。

……続く。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。

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