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『行人』を読んで。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

夏目漱石の後期三部作の二作目『行人』を読みました。
何かと考えさせられたので久しぶりに読書録として挙げようと思います。


本作の主人公の一人、一郎は人知れず悩んでいます。

絶対である自(自分)とその相対である他(他人や社会或いは物)との関係。
そして自他を入れ替えたときに起こる関係の逆転。

私が所有しているものは私を所有していることにもなるのだ。
絶対即相対。

ならばその境界は一体どこにあるのか?
何故私は他人の気持ちが分からず、逆もまたしかりなのだろうか?
社会は何故自分の意志と無関係に変化し続けるのだろうか?

一郎は妻の本意が理解できない事に只ならぬ不信と不安を抱きます。
やがてその疑念は親兄弟へも及んでいきます。

彼は自分を取り巻く他者や社会との関係性に悩み、自分の立ち位置や身の置き方が分からなくなっていきます。
人を遠ざけ、ますます孤独に陥っていく一郎は、床の中でさえその自問自答の葛藤に追い続けられる事になるのです。

いくら考えても答えは見つからない事を知りつつ、考えぬ訳にはいかない自分と向き合う日々を送っているのです。

一郎が友人のHに語った逸話があります。

唐代の禅僧、香厳(きょうげん)は自らの智慧や見識が足かせとなって、中々悟りの境地へ踏み入る事が出来ませんでした。
余計な先入観や無駄な知識を捨てた状態で出て来いと師に言われた香厳はとうとう諦観するに至り、隠遁して小さな庵で暮らし始めました。
さっそく香厳は周辺の整地に取り掛かりました。
その時たまたま放った石が竹藪に当たり、音が鳴りました。
香厳はこの響きを聞いて悟りの境地に達したといわれています。

まさに神の福音です。

いくらもがいても苦しんでも開かなかった悟りへの門が、学問や見識とは全く関係の無いふとしたきっかけで開いたのです。

一郎は既に自覚しています。

自分には神の福音か死か、そのどちらかしか救われる手段が残されていない事を。

その問題がもはや自分の力及ぶ領域にはない事を。

神様か死神か、自分を見つけるのが早いのは一体どっちなのか?

漱石後期三部作の三作目『こころ』で、”先生”はどうやら死神の方に早く見つけられたようです。

二作目の本作『行人』で結末を書けなかった或いは書かなかった漱石が、三作目で選んだ結末は死だったのです。

この流れに気が付いた時、私は戦慄を覚えました。

そして、一郎も結局は自死の最期を遂げるのではないだろうか?という予感が強くなりました。

私は自分自身の暗い先行きもリンクして、絶望の淵に追いやられた様な気がしてきました。

と同時に、もし一郎や先生が救われるとすればそこには一体どのようなストーリーが考えられるのだろう、という疑問も同時に湧いてきました。

……

最近なぜか暗めの純文学ばかり読み漁っています。

そのようなストーリーが妙に腑に落ちる瞬間があるのです。

病んでますね。


……続く。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。

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コメント
508:管理人のみ閲覧できます by on 2016/01/12 at 22:59:21

このコメントは管理人のみ閲覧できます

509:Re: タイトルなし by オペラ on 2016/01/13 at 01:35:52

遅ればせながらあけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

現国の先生の仰っていた事が何となくですが分かるような気がします。
記事の最後にも書きましたが、私がこれらの本を読んで最も気になったのは「もし救われるとすれば」という仮定の結論です。
もし漱石がもう少し延命したならばそのような著作も創出していたかもしれませんし、そもそもそれを書く為に生きていたのかもしれません。
例えば漱石が求めた「則天去私」がその答えであるならば、彼の遺作「明暗」でそれが著されるはずだったようです。
(残念ながら筆はそこに至る前に置かれてしまいましたが)
現国の先生の仰るように、後期三部作とは生を探求する過程の物語であり、そう考えるとそこには「則天去私」に至るヒントが散りばめられているはずです。
もしかすると、当時(今風に言うと)鬱病も含め色々な病を患っていた漱石が書きたかったのは、救いを求めて悩み苦しむ自分へ向けた福音の書だったのかもしれませんね。

中学以来の読み直しとの事ですが、福音が訪れることを祈っております。
(もし訪れたら教えてください)

PS.
風邪には十分気を付けてくださいね。生活の質が下がりますから。
私はジョギング後のシャワー上がりに行う汗だくの全裸休憩が最近気になっております。

510:管理人のみ閲覧できます by on 2016/01/13 at 08:14:56

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511:Re: タイトルなし by オペラ on 2016/01/13 at 18:08:57

素晴らしい先生との御縁があって、更にそれを永く繋げておられた事が羨ましく思えます。
早逝されたのは残念ですね。
もし本を読み続けることが供養になるとすれば、そうすべきだと思います。

私は抑うつの調子によって本の内容の浸みこみ方が変わってきます。
頭に入らない時は同じように流し読みになります。
それでも何か得ているものはあるだろうという気持ちで、自分で折り合いをつけながら何とかやっています。

今回読み返すことで、当時得られなかった何かを見つけられるといいですね。
楽しんでください。

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