プロフィール

オペラ

Author:オペラ

※所有バイク
Look595
Operaベルニーニ
ルイガノXC-Race

愛車Look595

最新記事

最新コメント

カテゴリ

おすすめ(ロードバイク)











おすすめ(本)













ブログ村このブログの記事

RSS

ある日のブックオフにて……

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

約二か月前、某ブックオフででのことだ。
私は外国人作家の書棚を、上から下へと一段ずつ眺めていた。
並び順がアイウエオ順だったため、
トルストイやドストエフスキーが中段でその威厳を誇っていた。
最も下段にはマ行以降の作家が並べられていた。
例えばミッチェルの『風と共に去りぬ』、モンゴメリーの『赤毛のアン』シリーズなど。
私は「ふーーん」と思いながらモンゴメリーの隣に目を移した。
そしてこの本に遭遇した。

リリー・フランキー『東京タワー』。
(お前日本人だろっ!)

外国人作家の書棚になぜリリー.フランキーが!?
多分著者名がカタカナだったので店員が間違えたのかもしれない。
でもその店員、”東京タワー”という題名に何か違和感を覚えなかったのだろうか?
更に背表紙には副題としてこう書かれていた。

『オカンとボクと、時々オトン』

いくらなんでもこの副題はつけないだろう、外国人作家が。
日本のそれも完全に関西ローカルじゃないか。

リリー・フランキーはフランキーで他に居場所があるはずだ。
私はリリー.フランキーの専用エリアをその店舗の中に探した。
あった。対面に。
ちゃんと日本人作家の書棚だ。
それもネームプレート付である。
でも残念ながら、というか予想通りそこには『東京タワー』は無かった。

これは完全に店員のミスだろうと思う。
そのミスによって、リリー・フランキー『東京タワー』は完全に誤った居場所を与えられてしまったのだ。

それから約二か月。
ある日、私はあの本がどうしても気になって再び某ブックオフへと足を運んだ。
直ぐに外国人作家の書棚の前へ立って、一番下の列に目をやった。
二か月前と同じミッチェルの『風と共に去りぬ』、モンゴメリーの『赤毛のアン』シリーズがそのまま残っていた。
しかしその隣にはユゴーの『レ・ミゼラブル』となっていた。
あれ『東京タワー』は?と一瞬だけ思ったが、ユゴーの右横に相変わらず鎮座してるのを見つけて何故か虚しさを感じた。

昔、『置かれた場所で咲きなさい』という(読んだことが無いので内容は知らないが)人生訓を説いた本がベストセラーになっていたことがある。
私は『東京タワー』を見て思った。
(いくらなんでもここじゃ咲けないだろう)

この棚を探す人は外国文学に興味がある人なので、リリー・フランキー『東京タワー』を手に取る事は無いだろう。
また、リリー・フランキー『東京タワー』を探す人はこの棚には来ないだろう。
という訳でリリー・フランキー『東京タワー』は購入される確率が恐ろしく低い。
縁の無い人が目の前に立ち、縁のある人は背を向ける、そんな絶望的な居場所にこの本は置かれている。
もし本にとっての存在意義が人に読まれる事だとしたら、この本はそれを全否定されているのだ。

居場所。大事である。

サマセット・モームの『人間の絆』を読んで、私はなぜこの本のタイトルが絆なのか不思議に思って原題を調べたことがある。
原題は『Of Human Bondage』だった。
Bondageとは束縛或いは隷属とかを意味する言葉であり、割と肯定的な意味を持つ絆とはむしろ正反対の印象を与える言葉である。
なのでこの原題を内容に即して正しく邦訳すると、『囚われの身について』の方がしっくりくる。
主人公フィリップは、自分の人生において様々な夢や理想を追い求め続ける。
職業を変え、国を渡り、人と出会い、数々の挫折を経験する。
そんな彼が最終的にたどり着いたのは彼だけの居場所だった。

彼にとって居場所とは?
モームによればこういう事らしい。

「他人に寛容でいられるだけの必要最低限の経済的自立、そして自尊心を得られる場所」

フィリップは自分にとって余りにも高邁な理想や夢、すなわち妄執に囚われ、現実が、そして自分自身が見えなくなっていたのだ。
妄執を棄てるとは諦めることである。
諦めるとは「あきらかにする」ことである。
明らかになれば自分が分かり、必然的に居場所も見えてくる。
こう考えるとこの小説の邦題はこうしてもいいのではないか。
『人間の居場所』。


以前、アニメ『この世界の片隅に』で居場所についてブログを書いた。
この作品もまた人間の居場所について語っている。
ただしこの物語の主人公すずさんは、前述のフィリップとは違って居場所を半ば強制的に与えられた人物である。
でも不思議な事にこの作品における居場所の定義は何らモームと変わることはない。

「他人に寛容でいられるだけの必要最低限の経済的自立、そして自尊心を得られる場所」

ただしすずさんはフィリップに対して随分と必要最低限のレベルが低い。
すなわち、他人に寛容でいるためにあまり経済力と自尊心を必要としないということだ。
これは時代背景も大いに関係しているのだろう。
なにしろ当時はみんな貧乏暇なし、猫の手も借りたいほど忙しい。
世界の片隅で、人々が協力し合わなければ生きていけない時代だった。
誰もが誰かを必要としていたし、人は人から必要にされる事で自尊心を保っていられる。

ますます激しくなる戦火の中、すずさんは嫁ぎ先から実家への帰省(疎開)を促される。
迷った挙句すずさんはそれを断り、嫁ぎ先に残る。
彼女は自分の居場所を知っていた。
あーみえてきちんと世の中と自分との関係を、そしてなにより自分のことを理解していたのだ。

そういう意味において『この世界の片隅に』という作品は、『この世界の片隅にある私の居場所』について語っているような気がした。


『東京タワー』
『人間の絆』
『この世界の片隅に』
これらの作品を鑑みて私は思った。(1つだけ作品性とは全く関係の無い視点だが)

もし人生に目的というものがあるのだとしたら、
それは自分の居場所を見つけることなのかもしれない。
時代に関係なく、自分の居場所を持つ人はそれだけで幸せである。

『東京タワー』にもし意思があったなら今の自分の状態をどう感じただろう。
目の前に本来の居場所が見えるのに、自分は動くこともしゃべることも出来ない。
「おいお前、ちょっと俺をそっちに運んでくれ」
もしかして『東京タワー』は私に一生懸命そう呼びかけていたのかもしれない。
「今度また会うことがあれば善処してやろう」
書きながらそう思った。


最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
よろしければポチッとお願いします。 



ブログランキング・にほんブログ村へ



拍手、コメント、それだけが励みです。
   ↓↓
関連記事
スポンサーサイト

ある日の心療内科にて……

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

私の通っている診療所は、最近午後の診察開始時刻を変更したようだ。
いや正確に言うと定刻に戻したと言うべきだろうか。

本来16:30からの診察は、これまでずっとなし崩し的に早められていた。
待っている患者が3人ほどに達した時点で何となく診察が開始されていたからだ。
なので出来るだけ待ち時間を減らしたい患者は、競うように来院時間を早めていった。

この日、私が来院したのは16:00ちょっと過ぎ。
すでに待合室の席は埋まりつつあった。
受付のカーテンは閉められたままだったが、診察受付だけは小窓を通して処理されていたようだ。
私は長椅子に腰掛け、読みかけの本を手に取って診察を待つことにした。

それから約15分が経過した頃だろうか、私の対面に座っていたお婆さんが急に立ち上がった。
この時の私は、まさかこれからこのお婆さんの一人芝居が自分の目の前で展開されるなどとは夢にも思っていなかった。
それは、まさにお婆さんが長年培って会得したハイレベルなコミュニケーションスキルのお披露目だった。

お婆さんはスタスタと受付の方に歩いて行き、まずはカーテンを開けさせた。
そして現れた受付のお姉さんに向かってこう言った。
「ちょっと、まだ始まらへんの?
 今日なんか遅ない?」
まず”レベルB”である。
普通の人は中々このように文句を言えない、それも人前で。
更に言うと、まだ診療開始時刻前なのに。

そんなお婆さんの不意打ちに、いつも笑顔のお姉さんは少しもひるむことなくこう答えた。
「そうですねぇ」
一瞬、場に緊張が走った。
お婆さんはとても納得しているようには見えず、むしろもう後には引けなくなったという感が否めなかった。
お婆さんは続けてこう言った。
「なあ、先生どっか具合悪いんちゃう?
 絶対そうやわ。
 ちょっと様子見てきた方がええんちゃう」
これは”レベルA”だ。
本心では「お前ちょっと呼んでこいや!」なのだろうが、それでは角が立つ。
ここでお婆さんがあえて先生の事を心配することで、まるで今の自分が道徳的に正しい行為をしているような錯覚を周囲に与えるのだ。

受付のお姉さんはこの攻撃にどう対処するのだろう?
私はその成り行きを見守った。
「大丈夫だと思います」
お姉さんは笑顔を崩さずに、お婆さんのある意味「命令」をそう受け流した。

自分の要望が受け入れられないと悟ったお婆さんは、すかさず次の手を繰り出した。
「でも何で今日こんな遅いの?
 ちょっと患者のこと馬鹿にしてるんじゃない?」
そしてお婆さんは待合室の方を振り返り、
「みんなこんな待たされてよう我慢できるわ」
と言った後、再びお姉さんに向き直り、
「でもみんな私と同じ気持ちやと思うよ」
と哀願するように訴えた。
出た!”レベルS”である。
お婆さんは誰に同意をとるでもなく、待合室の全員を強制的に自分の側に立たせた。
まるで自分が弱者の代弁者であるかのように振る舞うことで、お婆さんは自分の行為の道徳的優位を堅持したのだ。
もちろん本心は「お前ちょっと呼んでこいや!」である事は言うまでも無い。

結局お婆さんに従って文句を言い始める患者は一人もいなかった。
私などはこの暑い中、エアコンが効いた部屋でソファーに座って本が読めるのでむしろ快適に感じていたくらいだ。

さて、受付のお姉さんはこの攻撃にどう対処したか?
答えは、「ただ黙って笑顔をキープ」である。
その笑顔を見てお婆さんはすごすごと席に引き返す……訳は無かった。
すかさず連続攻撃である。
「ちょっと、私これから別の所で予約があるんよ。
 もう今日はこのまま帰ろうかしら。
 間に合わへんわ」
これは”レベルB”である。
お婆さんは待たされている事に対して、何か自分がないがしろにされていると感じているらしかった。
おそらく自尊心も傷ついたのだろう。
なので「自分は暇ではない!忙しいのに時間を削ってここに来ているのだ!」と言いたかったのだ。
もちろん本心は「お前ちょっと呼んでこいや!」である事は言うまでも無い。

そろそろ16:30になろうとしていた。
私はなぜ受付のお姉さんがお婆さんの要望に従って例え振りでも先生を呼びにいかないのか、何となく理解していた。
これまで彼女たちは、競い合うように早めに来る患者達によって、かなり昼休憩を削られていたはずだ。
午後の診察が急に定刻通りになったのは、恐らく彼女たち受付部門が先生に定刻運営を要望した結果なのだろう。
なのでお姉さんは絶対に先生を呼びにいかない。
16:30開始を慣習づけるのは彼女たちの仕事なのだ。

そうこうしているうちに16:30になり、先生が降りてきた。
最初に呼ばれたのはあのお婆さんだ。
お婆さんは診察室に入るや否や大きな声で先生にこう言った。
「せんせぇー、どっか体の具合悪いん?」
”レベルA”である。
本心は「待たせすぎだろお前」なのだが、
根拠のない心配を大仰に表現することによって「今自分は待たされて不機嫌である」という気持ちをそれとなくぶつけているのだ。
その上、相変わらず自分の高い道徳的立場に一寸の揺らぎも無い。

診療はものの1分で終わった。
にこやかに診察室から出てきたお婆さんは、そのまま受付に行ってお姉さんと話し始めた。
「先生、やっぱりどっか悪そうやで」
ちなみに私の見た感じでは先生はいつも通り健康だった。

お婆さんの頭の中では、先生は体の調子が悪かったという事になっている。
これによって先生が遅れたのは決して自分を軽んじた訳ではないという事になり、目出度くお婆さんの自尊心は守られる。
ついでに彼女の待合室における行為はあくまで先生の身を案じた結果であり、そこには高い道徳性こそあれど罪悪感などは微塵も残らない。
”先生は体の調子が悪い”という設定は、彼女にとって実に都合が良いのだ。

お婆さんはそれから約30分に渡って受付のお姉さんとしゃべり続けた。
そこにはさっきまでの苛立ちは消え、楽しそうに世間話をするお婆さんの姿があった。
そう言えば、さっきまで別に予約があって急いでいるとか何とか言ってなかったか?

まあいい。
とりあえず誰も傷つかずに和やかな雰囲気を取り戻せた。
というか、ただお婆さんが一人芝居を披露しただけなのだが。

しかしこのお婆さんは如何にも京都人という感じだ。
たぶん生まれも育ちも京都なのではないだろうか?
彼女は角が立たないギリギリのところを狙って自分の正当性を訴える術を知っている。
このスキルは人生において重要である。(特に京都では)
なるべくストレスをためこまないよう、そして自尊心を保ち続けられるよう、長い人生経験から自然と培われた彼女なりの処世術である。
お見事!!

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
よろしければポチッとお願いします。 



ブログランキング・にほんブログ村へ



拍手、コメント、それだけが励みです。
   ↓↓
関連記事

悩み、愚痴、そして共感。

皆さん、どもども。
うつを背負って人生ヒルクライム中のオペラです。

こんな私にもたまに集まって遊ぶ後輩達(3〜4人)がいる。
いずれも前の部署で一緒だった奴らだ。

最近はすっかり疎遠になっていたのだが、今回の母の件(脳梗塞)もあって久しぶりに私は彼らに招集をかけた。
スマホでラインとかやっていれば招集も簡単なのだろうが、残念ながら私は今だにガラケーである。
なので私の招集方法はただ一つ、彼らの中の一人を適当に選び、そいつに段取りを全て任せるという、いわゆる全投げである。

今回その役割を私の独断によって課せられたのは、そのグループの中で私に次ぐ年長者のT君だった。
いつも鷹揚で気配りの効くT君は、私の送った一見慇懃なようで実は迷惑以外の何物でもないような”これぞまさに迷惑メール”に対して、今回もレスポンス良く返信してくれた。

しかしTの返信は意外な内容を含んでいた。
「……分かりました。でも今回は僕一人でもいいですか?」
「いいけど、他の奴らに何かあった?」
「いえ、まあちょっと今回は僕の愚痴も聞いてほしくて」

この時、私の頭の中には様々な想像が渦を巻いていた。
渦は暫く治まらなかったが、やがて私の頭は徐々に秩序を取り戻していった。
気が付くと渦の後には(必要も無いのに)私なりの推論が勝手に出来上がっていた。
「Tは決して愚痴を言うようなタイプでは無い。
 そんなTが愚痴りたいと言っている。
 それもメンバーではなく私一人に対して。
 もしかしてその愚痴はこのメンバーの中の誰かに対しての不平不満なのではないだろうか?
 これはちょっと難しそうだな。
 何か対策を考えておかなければ」

私はとりあえずこの場ではこれ以上突っ込まないことにした。
なのでシンプルにこう返信した
「そうか、分かった」

Tとは四条大橋で待ち合わせた。
先日のような紅蓮の夕焼けを期待してカメラを持って行ったのだが、この日は空振りだった。
なので鴨川べりで幸せに憩う人々の写真だけ一枚。
P1010001_201709032331038a4.jpg
しょぼいデジカメが勝手に頑張ってフラッシュなぞを焚いたものだから、宵闇の中に浮かぶ仄かな明かりの実に寂静な雰囲気が全く消されてしまった。
Tも謎だがこのデジカメも謎である。

そんなことを考えながらボーッとしているとTからメールが届いた。
「いま着きました」
私は直ぐに返した。
「俺はもう着いてる」

C先輩ならば間違いなく指定時刻から随分遅れてやってくるところだが、Tも私もとにかく遅れるのが嫌いな性分なので、いつも待ち合わせ時刻よりも随分早く着いてしまう。
待たせるよりも待つ方が安心するタイプ(小心者)なのである。
なのでこの日もお互い待ち合わせ時刻の15分前に出会う事になった。

私たちは河原町を歩き始めた。
そしてとりとめのない会話を交わしながらどこか適当な店を探した。
ふとTを見ると、なにやら一生懸命スマホを操作していた。
「何してんねん?」
「いや、ポケモンっす」
Tは河原町に出現するモンスターの捕獲中だったのだ。
まさかまだポケモンが流行っているとは思わなかった。
聞くところによると、京都は観光名所が多いので捕獲スポットも多いらしい。
なので休日ともなればTはそこいらじゅうを狩り歩いているという。
そう言われればTの顔は実に日に焼けて健康的に見えるし、恐らく実際に健康なのだろう。

私はそんな彼の姿を横目にこう思った。
(こいつ本当に悩みなんかあるのか?)

その後私たちは適当な居酒屋を見つけ、そこの個室で改めて二人対面した。
(T曰く、そこにはポケモンも何匹かいたらしいが)

一通り注文を済まし、やがてTがとつとつとしゃべり始めた。
長くなるので要約すると、彼は会社に不満を持っているらしい。
主に待遇、そして人間関係。
世間共通の悩みである。
「僕は絶対干されているんですよ」
「いくらやっても昇進しない。他部署の後輩は上がっていくのに」
「この会社の人間はみんな自分の事しか考えていない。特に上司は」

この時点で私の推論は当てが外れてしまった。
なのでどう対応していいか分からなかった。
なにしろてっきりこのメンバーのある後輩との上下関係における悩みだと(勝手に)確信していた私は、それに対するアドバイスしか考えてきていなかったのだ。

私は暫く考え込んだ。
今私の隣には一体どんなポケモンが座っているのだろうか?……いや違う!!
彼の気持ちは理解できる。

人は努力に対して報われていないと感じた時、
もしかすると自分は人に利用されているのではないだろうか?
自分の成果を全て上司が横取りしているのではないだろうか?
誰も自分の事を正しく評価してくれていないのではないだろうか?
などと疑心暗鬼になりがちである。

昔、私の先輩にもいた。
彼はとてもやさしく後輩の面倒見も良かったのだが、後輩に抜かれた時から恐らく自分の待遇に不満を抱き始めたのだろう、急に人が変わったように冷淡になってしまい、やがて孤立し、最終的には会社を辞めていった。
その時の先輩には、人を助ける事がまるで自分の利益を自ら棄損する行為のように見えていたのだと思う。
なので、恐らく今のTと似たような思いを抱いていたのではないだろうか?
「周りの人間は常に自分を利用して得をしようとしている」と。

Tは会社を辞めたくて辞めたくて仕方がないらしい。
実家に帰省したときも周囲に手頃な就職先は無いかと思わず探してしまうそうだ。

私は思った。
こんな時、もし釈迦や孔子だったら一体どんなアドバイスをするのだろう?
全く思いつかなかった。
なんかそれっぽい理屈をこねることくらいなら私にも出来そうだが、なんか白々しい。
しょせん借り物の人生訓や哲学などを他人から説教がましく垂れられても響くわけがないのだ。
なので経験談から入ることにした。

「昔の俺の上司だったMさんとWさん。お前も知ってるやろ。
 あの人達な……」
私は、今の私だからこそようやく理解出来る、Tも旧知の元上司二人の部下に対する、つまり私に対する勇気ある行動について話した。
詳細は長くなるので省略するが、
要約すると自尊心と虚栄心についての私の見解、
確かに人は自己中心的な面も持っているが、決してそれだけでは無いという事、
そして最後には結局私にも人の事はよく分からないという事、
などを話した。

『群盲評象』という言葉がある。
盲人が象の一部を触って、象の全体像について論じる様を示す言葉である。
尻尾を触った盲人は象は蛇のようだと言い、足を触った盲人は象は丸太のようだと言う。
人が人を評する時など、まさにこうなるのではないだろうか?

私の話を一通り聴いた後、Tは呟くようにこう言った。
「でもやっぱりこの会社の人間はクズばっかりですよ」
もう私は首肯するしかなかった。
「そうやな」

居酒屋を出たあと、私たちは祇園白川を抜けて八坂神社まで散歩した。
この日はやけに人出が少なかった。
北朝鮮からミサイルでも飛んでくるのだろうか?

小腹がすいたので何か食べようかと喫茶店を探したが、京都の店はどこも閉まるのが早い。
結局某マクドナルドに入った。
インド人が接客をしていた。
日本語が全く通じなかったので、そのインド人の隣に立つ通訳兼レジ打ち兼スマイル対応のお姉さん(インド人いらないじゃないか!)に一通り注文をした。
トレイを受け取って席に着き、Tと再び対面した。
しばらくしてTが言った。
「オペラさん、これ見てください。レアです」
Tが私に差し出したスマホの画面には、彼曰くレアポケモンと呼ばれるポケモンが躍っていた。
それを見て私は思った。
(多分彼は大丈夫だ。
 ちゃんと愚痴を愚痴だと割り切って愚痴っているだけなのだ。
 間違いなく私なんかよりも遥かに上手く人にも物事にも対処できている)

また会おうと約束してTと別れた後、私はこの日を振り返って分かったことがある。
何も深く考える必要は無かったのだ。
ただ話を聞いて共感してやれば良かっただけなのだ。

人に相談されると「何とか解決してやらねば」と思わず気負ってしまうことがよくあるが、
その人は本当に解決を欲して相談しているのだろうか?
もしかすると話を聞いてもらうことで少し楽になりたいだけなのかもしれない。
そう考えると、居酒屋で熱弁を振るっていた自分の姿が少し恥ずかしく感じられた。
恐らくTは私の「そうやな」の一言、すなわち共感が欲しかっただけなのだ。

最後まで読んで頂き、感謝、感激です。
よろしければポチッとお願いします。 



ブログランキング・にほんブログ村へ



拍手、コメント、それだけが励みです。
   ↓↓
関連記事
≪前のページ≪   1ページ/245ページ   ≫次のページ≫